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名古屋地方裁判所 昭和28年(ワ)158号 判決

原告 生川清司

被告 合資会社丸源運送店 外一名

主文

被告両名は原告に対し各自金二十万八千五百六十一円二十五銭及び内金十八万七千六百七十八円二十五銭に対する昭和二十八年九月二十三日以降内金二万八百八十三円に対する昭和二十九年四月一日以降各完済に至るまで夫々年五分の割合による金員を支払え。

原告はその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、その二を被告等の各負担とする。

この判決は第一項に限り、原告において被告各自に対し金四万円宛の担保を供するときは仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

原告が昭和十七年十二月十七日生れの未成年者であること、被告会社がトラツク、馬車による運送業者であり、被告久野が右会社の被用者でトラツクの運転手なること、原告が昭和二十七年七月二十三日午後五時頃名古屋市中川区八熊町字畑代千六百三十番地先十字路の被告会社車庫前路上で被告久野が車庫に格納すべく操車していた被告会社所有トラツクに轢かれ負傷したことについては当事者間に争がない。成立に争のない甲第十号証の三によれば、原告は右大腿骨々折の傷害を受けたものであることが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そこで先づ本件事故が被告久野の過失に因つて生じたものであるかどうかを判断する。

成立に争のない甲第十号証の一、二、証人木山重喜、同小山梅吉、同鷲見正材の各証言、並に原告本人、被告久野高盛本人(後記措信しない部分を除く)各訊問の結果、及び検証の結果を綜合すると、前記十字路東南角に入口が西向となつている被告会社の車庫があり、原告主張の日時頃被告久野は右十字路でトラツクの車体前部を北西に向け車庫に格納すべく後退転回等の操車をしていたところ(車庫に格納すべく操車していたことについては前記のごとく争がない)、二十六吋自転車に乗り東方から来た原告が右十字路において南折しようとして前記トラツクの前を迂廻して南に廻りトラツクの左(西)側にでたところ、原告は右転回直後十字路南西角の直ぐ南の路面西端部の缺潰穴(検証図面参照)に原告乗用の自転車の前輪が辷り込み左方(東)に転倒し、右足をトラツクの左前車輪の後方に投げだし仰臥した恰好になつたこと原告は急遽外に這い出ようとしたところ、被告久野がこれに気付かずトラツクを後退させたため該トラツクの左前車輪で原告の右足大腿部を轢いたこと、当時トラツクの右側後写鏡(バツクミラー)は完全であつたが、左側の後写鏡は欠損していたこと、被告久野は前記トラツクの後退に際し助手の合図なしに、単独で操車していたものであることが認められ、これに反し被告久野は、当時助手の合図に基いて後退したものであると供述しているが、該供述は前掲甲第十号証の一、二の各記載に照し措信しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。なお右甲第十号証の二によれば、被告久野は自転車に乗つた原告が通りかかつたことを目撃しながら、原告が通り過ぎたものと軽信してトラツクを後退させたものであることが認められる。およそ自動車運転手たるものは、通行人のある場所で自動車を後退前進或は転回をなす如き場合においては、助手又は適宜の第三者を車外に立たせてその合図に基き操車するか、若しくは充分周囲に危険なきことを確認した上なすべき義務があると謂うべきである。ところが右認定の事実によれば被告久野は助手等の合図なしに操車し自動車の左側には注意を払わず漫然後退させたものであることが明白でこの点に過失ありと謂わねばならない。されば本件事故は被告久野の右過失に基因するものと謂うべきである。

次に被告会社は、被告久野の選任監督について注意を払つていたから被告会社には賠償責任がない旨抗弁するので、この点を検討する。被告久野が昭和二年頃自動車運転免許を取得し以後現在に至るまで、一、二度スピード違反、積載超過事犯があつたに過ぎないことは証人古田源右エ門の証言、並に、被告久野高盛本人訊問の結果に窺われるが、前叙認定の事実に徴すれば、被告会社が被告久野の監督について相当の注意を払つていたものとは認められず、他に監督について相当の注意を払つたことを認めるに足る証拠はない。従つて被告会社の該抗弁は採用できない。

されば、被告等は各自原告に対し本件事故に因り蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

そこで損害の数額について判断する。

原告法定代理人生川寿恵子本人訊問の結果によれば、原告は本件事故後直に訴外坂文種報徳会病院(以下坂文種病院と呼ぶ)に入院し手術をしたが経過がおもわしくなく昭和二十八年三月五日まで同病院にて治療を受けていたが、更に同年三月より訴外名古屋大学医学部附属病院の治療を受け、同年三月、同年九月、昭和二十九年三月と三回手術をしたことが認められる。そこでその間に要した治療費、入院費、通院費について見る。

成立に争のない甲第二号証の一は坂文種病院の昭和二十七年七月二十三日より同年十月三十一日までの外科治療費金三万六千二百三十一円二十五銭の領収書であるが、右領収書は昭和二十八年四月三十日の発行になるもので、これに対し被告会社の所持している右病院の領収印ある領収書である成立に争のない乙第一号証の八乃至十二によれば、被告会社において昭和二十七年七月二十四日より同年十月三十一日まで右病院に対し合計金二万六千三百二十五円を支払つたものであることが認められるから、特段の事情がない以上原告が支払つた分は計算上その差額である。金九千九百六円二十五銭であると解すべきである。成立に争のない甲第二号証の二乃至十一によれば、同年十一月一日より翌昭和二十八年三月五日までの坂文種病院の治療費が金二万六千八百三十三円八十八銭であることが認められるが、右書証はいづれも再発行になるものであり、被告会社が所持する領収印ある領収書である成立に争のない乙第一号証の二によれば、右期間の治療費について被告会社が坂文種病院に対し甲第二号証の二、五、七、十一の分の合計金一万三千二十七円八十八銭を支払つたことが認められるから、原告が右病院に支払うべき額は差引金一万三千八百六円であると解すべきである。結局原告が坂文種病院に支払つた分及び支払うべき分の合計は金二万三千七百十二円二十五銭となる。

成立に争のない甲第三号証の一乃至四によれば、昭和二十八年三月五日より同年三月十八日までの大学病院における入院中同病院構内の訴外共済団調理部に支払つた食餌料が金千七百二十二円なること、成立に争のない甲第四号証の一乃至三によれば原告宅より大学病院への通院に要したタクシー代の合計が金千二十円なること、成立に争のない甲第五号証の一、二によれば昭和二十八年三月五日より同年同月十八日までの大学病院入院料が金八千八十一円なること、成立に争のない甲第五号証の一の三、四同第六号証の一乃至八、同第九号証の一乃至六によれば、原告宅より大学病院までの通院のための市電定期券が原告と親権者訴外生川寿恵子の分を合せ、昭和二十八年五月一日より同年同月三十一日までが金九百円、同年六月一日より翌昭和二十九年三月三十一日までが金六千三百円なること、成立に争のない甲第五号証の二の一乃至三五、同第六号証の三の一乃至六六、同第七号証の一乃至八四、によれば、昭和二十八年三月二十六日より同年五月三十一日までの間に大学病院に支払つた外科処置料等が金二千二百四十三円、同年六月一日より翌昭和二十九年三月末日までの外科処置料等が金七千七百九十円なること、成立に争のない甲第六号証の二の一乃至四によれば昭和二十八年九月四日より同年同月十一日までの大学病院入院料及び共済団調理部への支払分の合計が金三千八百七十九円なること、成立に争のない甲第八号証の一乃至四によれば、昭和二十九年三月十八日より同年三月二十三日までの大学病院入院料及び共済団調理部への支払分の合計が金三千二百五十三円なること、成立に争のない甲第六号証の二の五によれば、昭和二十八年九月十一日退院の際大学病院より原告宅までのタクシー代が金三百円なることが夫々認められる。従つて、昭和二十八年三月より同年五月三十一日までの大学病院への入院及び通院に要した費用が合計金一万三千九百六十六円で、同年六月一日より昭和二十九年三月末日までの大学病院への入院及び通院に要した費用が合計金二万八百八十三円なることは計算上明かである。

されば原告が治療に要した損害は合計金五万八千五百六十一円二十五銭である。

次に慰藉料について考えて見るに、原告の負傷の部位程度治療期間及び諸般の事情を勘案して原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金十五万円をもつて相当と認める。

なお本件事故当時原告は満十年七月の未成年者であつたことは弁論の全趣旨により認められるから、当時原告は行為の責任を弁識するに足るべき知能を具えないものと謂えるので、過失相殺の適用をなすべきでないので、前記損害額に対しては過失相殺をなさない。

されば被告は原告に対し各自金二十万八千五百六十一円二十五銭及び内金十八万七千六百七十八円二十五銭に対する本訴状送達の翌日である昭和二十八年九月二十三日以降、内金二万八百八十三円に対する弁済期後である昭和二十九年四月一日以降各完済に至るまで夫々民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて、原告の本訴請求は右金員の支払を求める範囲において理由があるから、これを認容し、右範囲を超える部分は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用について民事訴訟法第九十二条第九十三条仮執行の宣言について、同法第百九十六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 小沢博)

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